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016 若いころの苦労
2019/10/29/(火)
偉大なことをなした人で、若い時を含めて、苦難を経験していない人は皆無といってよいはずです。自分を高めるための苦労は進んで受け入れるべき。と稲盛さんは言われます。
「苦」は「苦い(にがい)」とも読むように、感覚的な不快。「労」は「つかれ」とも読むように身体の不快です。同じ苦労を感じる状況でも、それが「自分を高める苦労」と受けとるのか、「無意味な苦労」と受けとるのかで、脳そして体にはとてつもなく大きな差が生じてきます。無意味な苦労と拒絶する気持ちが強いと、嫌悪感を生みだす脳の扁桃体が過剰に働き、そして次にアドレナリンというストレスホルモンが生じて視床下部という自律神経と免疫の中枢が機能低下してきます。これは病気の根本原因となります。「自分を高める苦労」と思えば集中力のドーパミンが出て、パフォーマンスが向上し、実力がついてくるでしょう。我々は苦労をどう受け取るか、試されるのでしょうか。
職員の感想は、子育ての時「艱難汝を玉にする」を心において子供の成長を見守りたい、困難を親が前もって取り除くようなことはしない方がよいということでした。
Y.H.C.矢山クリニックの今朝の輪読より(書籍:稲盛和夫著 魂の言葉108)