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054 労働とは修行である
2019/12/04/(水)
054 労働を生活の糧をえるための物質的手段とだけとらえることもまた誤りだと考えています。と稲盛さんは言われます。
資本主義社会では、生産手段を持たない多くの労働者は労働力を商品として売らざるを得ず、それが生産過程に組み入れられて、剰余価値を生み出すため、生産手段の所有者である資本家階級に搾取されるとされています。これはマルクス主義の考え方ですが、もう古い考えでしょう。このような労働は近い将来、AIロボットがやってくれるようになると言われているようです。
医師の仕事のうち血液検査のデータの診断と画像データの診断はすでにAIロボットは専門医のレベルに達していると言われています。ではどのような労働が本章にあるような「心を磨くための仕事」になるでしょうか。
英語の労働Laborは「重荷を負ってよろめくこと」が原義と言われて「苦難」という意味もあります。苦難の労働なのか心を磨く修行なのか、その人の心構えがそれを決めるのでしょうが、なかなか難しいと思えます。しかし、「悟りを開くための日々の労働」。これはマルクスの考えをはるかに越えていると言えるのではないでしょうか。
Y.H.C.矢山クリニックの今朝の輪読より(書籍:稲盛和夫著 魂の言葉108)