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E・キューブラー・ロス博士の死生観について
2016/03/04/(金)
ロス博士が「神に悪口雑言を吐いた」ことについて様々考えてみました。ロス博士は自分の仕事は40年間神に仕えてきたものと考えていたようです。そして「死とその過程の五段階」という大きな業績を上げた自分は神に誉められて幸せな引退後の生活を送れる、送りたいと考えていたはずです。それなのに脳梗塞になって不自由になってしまった。この状況に対して怒りが湧いてきたというのは理解できます。日本人なら「神も仏もあるものか」というでしょう。しかし「悪口雑言」を吐くかどうか、ロス博士は神に対して「あなたはヒトラーだ」と呼びかけています。日本人は神や仏に対して、歴史上の極悪人という言い方は多分しないでしょう。
私は空海が大好きで「超訳空海」をザ・フナイに連載してきました。真言密教では、すべての存在は大日如来の顕現であり、自分の中にも仏が存在していると考えています。 それなら、人間の苦も不幸も病気も戦争も、大日如来の顕現なのであろうかという素朴な疑問が生じてきます。今まで読んできた仏教書には、この疑問の呈示がありませんでした。(知っている人は教えてください)そこで一神教の人たちは、この疑問についてどう考えているのかを知るために最近聖書にかじりついて読んでいます。そうするとユダヤ教、キリスト教を信仰する人たちの考え方の基本ソフトが日本人とまるで違っていることに気がつきました。これはなかなか理解できないのですが、日本人の考え方の基本は因果律です。仏教の言葉で言うと「因」という内的条件に「縁」という外的条件が加わって、「果」という結果が生じ、それが次の因縁につながる「報」となっていくというのが因果律です。これは、科学の分野から人の心の領域までをカバーする基本原則です。これに異を唱える人は日本人にはいないでしょう。
ところが、キリスト教やユダヤ教の心の世界の原則は因果律ではないのです。日本人は努力し、修行し、いいことをし、立派に生きていけば「意識の成長進化」(天外伺朗さんの言葉)が生じる。つまり心の世界にも因果律はある。当たり前でしょうと思っています。しかし一神教の世界で救済されるかどうかは、100%神(ヤハウェ)によるのであって、人間の努力、修行などは一切関係ないというのです。なぜなら、唯一絶対全能の神に対して、自分はこれだけ努力修行したので救済して下さいといって、それを神が「よしよし」と言って言うことを聞いてくれたら、それは神に注文を付けて、神を動かしたことになり、唯一絶対全能ではなくなると考えるのです。ですから、一神教の信者は心の世界の救済は神に全託するしかないとなっているらしいのです。フーン、あまりに違っているので想像しにくいのです。(つづく)