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舩井幸雄先生の思い出13
2017/06/16/(金)
医学、医療において全てを肯定して包み込むとはどういうことなのだろう。
「包み込む」という人間の営みは、どうした時に生まれるのでしょう。何かの問題を解決しようとする時、手持ちの方法論でうまくいくのなら他の方法を探す必要もなく、既存の方法論に新しい方法論を組み込み、間に整合性を持たせて融合する必要もありません。西洋医の方法論だけで、病気がどんどん治って苦しむ人が減り、さらに病気そのものが人類の中から減っていくのなら、だれも東洋医学や伝統医学、エネルギー医学などを探究する必要はないでしょう。わたしは外科医として修行を積みながら手術がパーフェクトにできれば癌が治るし、西洋医学の方法論しかないと考えていた時期もありました。しかし、2人に1人が癌になり、3人に1人が癌でなくなる時代になってしまって、現在の西洋医学の方法論だけで癌に克つことは難しいことが明らかになってしまいました。西洋医学の基本方針でどこまでも研究を進めていけばいつかは癌や難病に克つ日がくるのでしょうか。そう思いたいのですがそうではないかもしれない。
基本方針のことを戦争では「戦略」と言います。例えば戦うのか否か、どの相手を目標にし、どの相手と組むのかなど、大きな方針のことです。実際にどんな武器を使って戦うのか軍隊全体の動かし方などを「戦術」と言います。そして現場で敵と戦うことを「戦闘」と言います。
戦略:strategy
戦術:tactics
戦闘:battle,combat,fight
何か問題を解決しようと考える時、戦略、戦術、戦闘の段階(カテゴリー)があることは医師として現場で仕事をしてただけではなかなかわかりません。舩井先生にこの考え方を教えてもらった時、感動したことを思い出します。戦略、戦術、戦闘と仲間の医師に言ってもなかなかピンときません。それでトンネルを掘ることに例えて、トンネルを掘るのか否か、またどの方向に掘るのかという基本方針を戦略といい、どんな掘り方や機械を使うのかの計画を戦術といい、実際に掘る現場での作業を戦闘と考えると言い換えるとわかってもらえます。医師の仕事は患者を相手に現場の作業すなわち戦闘がほとんどで、戦術、戦略を考える機会は自分で持とうとしない限りやってこないようです。
戦略発想については興味深い思い出があります。1991年1月に湾岸線戦争がありました。その前に多国籍が組織されたとき、私は舩井先生に「戦争はない方がよいのですが、起きますか」と尋ねたことがあります。先生は即座に「戦争は必ずあるよ。アメリカは武器を持っていって、そのまま持って帰ることはしない。戦争とは武器の在庫一掃セールだからね」と言われました。「戦争とは武器の在庫一掃セール」と始めて聞いた言葉でした。これが、戦略発想にふれた最初でした。医療における戦略発想とは何でしょうか。次回述べてみたいと思います。